地震その後3

つい先ほど、宮城県の沿岸で暮らす親戚に母が電話をしておりました。遠い親戚ではあるのですが、いつも海で取れた物を送ってきてくれる12人の大家族

地震発生後安否を確認出来ていたので、ワイワイ家族で頑張っているであろう~と思いきや!電話に出た声は疲れと飢えで変わり果て、「御願い、食べ物を送って~」と

決して泣き言を言わないような一家なだけにさあ~大変だっ!となり郵便で送れる物を一気に買い発送

日々ニュースで避難所以外の民家(海岸沿い)が物資がなく大変だというのが、まさにっ!という感じである。明日には届くので頑張ってほしい

私にも昨日レスキューならぬ、「物資送るよお~」と愛知に住む友人から連絡をもらいました
遠くにいても気に掛けてもらえ、いざっ!という時に頼れる友人がいるのはとても幸せなことです

彼女とは10年以上前にパリに旅行を一緒に行った事があり、ぼんやり思い出しております
行きはミラノからユーロスターで快適!帰りは夜行寝台でパリからミラノに向いました。順調に寝ていけば、早朝にミラノに着くなあ~なんて気楽に思っていたのですが、夜中に停電になり列車は走らず立ち往生

加えて寝台車1部屋に6人が寝泊りするのですが、1人パスポートがないコソボ出身の青年がおりました寝台車は発車前に車掌にパスポートを預けなければなりません。

夜その青年はちょうど私の上の段に寝ていたのですが、とても落ち着かない様子で「警察が来ても僕はここにいないと言ってくれ!」と何度も語りかけてきました。彼の想いは届かず、フランスからイタリアに国境が変わる瞬間
逃げる事も出来なく、連れて行かれました。その時の所持品がコンビニなどでもらうビニール袋1つパリで仕事が見つからないのでイタリアに渡るとの事でしたが、今でもビニール1つをぶら下げて去って行った姿は忘れられません。

その後列車は動き出し、朝にミネラルウォーターとブリオッシュを配られ、やれやれという感じでミラノに友人と到着

あんな日を共に経験したからこうやって北と西に今住んでても気に掛けてもらえるのかなあ~と思ったり。
ちなみに彼女の旦那様は有名な声楽家ですが、学生時代「ドリフの合唱団」のバイトをしていた経歴の持ち主

オペラの実績よりも、ドリフのバックにいた事の方が興味ある私はグイグイその話題に食らいついたものです

志村と同じ弁当を食べたんだって~さあ~彼女も彼女の旦那さんも素敵な人です
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No title

 ご親類、みなさん無事と聞いていたので安心してましたが、食料がないなんて!やっぱり行き届いていないのですね。お手伝いできることがあれば、いってください。

 そうだったね、あの青年、コソボで戦争が起こっていたときで、そこから亡命しようとしていた人だよね。下の段だったはなっこさんのベッドのさらに下の、ベッドと床の間にかくまってくれ、とか言われて、二人で引いたよね・・・ビニール袋ひとつだったのは、私、忘れてたけど、たしかにそうだった。
 あのとき電車が停まったのは、電線が切れた、とか、なんかそういう事態だったっけ?
 ありがとう、こんな素敵な出来事、思い出させてくれて。すべてすべて、良い思い出です。
 ブログ読むと、安心するわ。ムリせずにね。

cuccioloさんへ

お~懐かしいよねえ。ユーロスターではなくTGVだったかなあ~とか書いてから後から思ったりしてた。停電はマドリードの時だったかもしれない。とにかく海外での交通利用はお得とかではなく、お金を多く払ってでも良いのに乗ったほうがいいなあ~と。
コソボの青年はやはり忘れられないよね。今日は街のスーパー3軒も行ったのでかなり食材豊富で豊かな気持ち☆ありがとね。
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